シモダの哲学部屋

はい、どうも『シモダの哲学部屋』の時間です!
今回のテーマは「政治哲学」です。

「政治哲学」は、政治における哲学的なテーマを扱います。ハーバード大のマイケル・サンデル先生がやっている事も、政治哲学らしいです。僕はサンデル先生についてはよく知らないので、詳しいことは言えませんが。

今回は「平等とは?」について考えます。
最近、産まれた環境によって教育に格差がうまれる「教育格差」が問題になってます。たしかに「環境格差」はありますが、最近の行動遺伝学の研究によって、「遺伝格差」も思った以上に大きいことも分かっています。

行動遺伝学とは、双子を調べることで「こころ」や「才能」に遺伝がどのくらい影響しているか調べる学問です。橘玲の「言ってはいけない残酷すぎる真実」という本に分かりやすくまとまっているのでオススメです。

家が金持ちなのが「実力じゃない」なら、生まれつき知能や才能に恵まれているのも「実力じゃない」です。どっちも運ですから。

また、平等にも2種類あります。「スタートラインの平等」と「結果(ゴール)の平等」です。
「教育格差」が問題としているのは、スタートラインが平等ではない点ですが、「遺伝格差」が大きい以上「スタートラインの平等」は不可能です。

また、「結果(ゴール)の平等」に関しては、仮に「教育格差」がなくなったとしても「学歴社会」や「資本主義」という制度である以上、平等にはなりません。
偏差値が高い大学ほど平均年収の高い企業に就職しやすく、ビジネス・金儲けが得意な人ほど豊かになり、そうでない人は貧しくなる。

少年漫画では、才能・環境のハンデを努力で乗り越えて「勝利」「成功」するのが王道的なストーリーですが、努力できるのもある程度才能です。
そのうえ、「勝利」「1位になる」「成功(金持ちや有名になる)」などは、相対評価なので全員が幸福になるのは原理的に不可能です。

現代日本において貧困層とされる人々でも、単純な生活水準は昔の王侯貴族より高いです。しかし、幸福は周りの人との比較で決まるので、幸福度は昔の王侯貴族の方が高いでしょう。

最低限の生活ができない発展途上国を除いたら、いつの時代、どこの国も社会全体の幸福度はあまり変わらないでしょう。幸福な人がいれば、その分だけ不幸な人がいるわけです。

みんながみんな幸福になるのが理想ですが、おそらくなかなか難しいと思います。
まとめると、「スタートラインの平等」は「遺伝格差」があるので不可能。
「結果(ゴール)の平等」は共産主義にでもしないと不可能ということです
と、まあこんなところで今日は終わります。
それでは次回も乞うご期待!

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